半年くらい前に
小児科の先生に娘の食べないことを相談した時に
『お母さん、いつも食べないことをすごい気にしてますけど、
きっとこの子が食べるようなってもきっとお母さんは悩みますよ!
お母さん自身の性格の癖ですね』
って言われたことがある。
その言葉を聞いた時は、正直意味がわからなくて
イラってしたのを覚えてる。
毎日毎日、作っても食べない
体重も増えない
不安にならない人なんているの?
こんな悩んで、
『これが解決しても悩むってどういうこと!?』
私自身の問題って言われてるような気がしたけど、その時は本当に理解できなかった。
このグサッときた言葉が、今になってやっと少しわかってきた気がする。
この前、息子がはじめて一時保育で保育所デビューした
娘と比べて、本当に手のかからない子で
体力がありすぎてやんちゃすぎるところはたまに困るけど
この2年ほぼ悩むことはなかった
きっとこれは全てにおいて
『一般的に教科書に書いてある』みんなと同じことを同じペースでそれなりにすんなりとこなすから
だからきっと安心な部分があった
一時保育では、
みんな慣れるまで大泣きした
帰ってからベッタリで大変って何人もの人から聞いてたから
『全く泣かず、お昼寝もして、先生とすぐ仲良くなって、帰ってからも案外平気で、また保育所に行きたい』
とノリノリの息子をみて
(給食、牛乳はほぼ口にせず、ぶどうを4つ食べただけらしいけど、食べないことに対しては誰よりも免疫があるから、ここには動じなかった)
なぜか寂しさと『ママと他の人の違いわからないのかな?』なんて勝手に想像して、勝手に不安になる私がいた
私は、
『やっぱり多くの意見や人と同じでないこと』
に対して、どうやら不安になる癖があるみたい。
私の中で根強く、
人と同じが安心
人並みに出来なければ努力しないといけない
とずっとずっと思って生きてきた
だから、できないことをどんなに努力してもうまくできない時、
できない自分を素直に認める勇気がなくて
『できなくても仕方ないよね』って納得してもらえる理由を探す癖が無意識にあった。
幼い頃からきっとそうやって正当な理由をみつけることで、できない私自身を守ってきたんだと思う
娘がみんなと同じように食べれないこと
『もしかしたら、自閉症かもしれないから』
自閉症だから、無理にできなくてもいいよって思ってもらえるためのお守りのような存在だった。
(実際、自閉症の診断がないから、HSCっていう概念について今はすごく勉強してた
でも周りから身を守るための勉強じゃなくて、より娘を理解し、娘に最適だと思える方法をたくさんの中から選ぶことができるための選択肢を得るために学ぶんだと昨日やっと気づいたよ…)
『できないことはダメなこと』
ずっと、ずっとこう思ってから
苦手やできないことを素直に認めれなくて
だから、できない理由をみつけて安心する
これに気づいた時に凹んだけど…
よく考えたら
できないこと、苦手なこと、嫌いなこと
得意なこと、無理なくできること、好きなこと
みんな同じな方がおかしいし
(そしたら、みんなが同じ人を好きになっちゃうし、いろんな職業が成立しないもんね)
みんな違うからこそ、うまくいく
違うからこそ、面白い
ただ単に違いって頭では理解してたつもりだったけど
『やっぱりみんなと同じが安心』
『できない私はダメだ』
私の中でまだまだこの想いが根強いね。
『私も子供も
できない 苦手なこと があってもいい』
(もちろん、それと同じように得意なこともあるから)
もっと素直に認めれるようになりたい
もっともっとシンプルに
きっとこれが本来のありのまま
みんなと同じようになることが目的じゃなくて、
本人がこの苦手を克服したい、できようになりたいって思うならとことん努力すればいい。
きっとこの努力は、苦痛なものではなく、やりがいさえ感じさせてくれる努力だから。
このブログを始めて、自分の中の根強い思い込みにたくさん気づく。
個性ってパズルのピースのようにいろんな形があって
どの形がいい、悪いもなくて
みんなが同じ形になる必要もなくて
この違う形のピースがそれぞれ存在して
違うからこそ、成立して
お互いの凸凹(得意や苦手)補いあうことで
1つの綺麗な形になる
『こんな風な世界で生きてみたいな』なんて思う
私はずっと、誰かと同じ形になることがいいって違う形を目指してたからしんどかった。
それぞれの形を変える必要はなく、その形を最大限に活かす!
まずは、家庭から❤︎
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