田舎に暮らしてると旬の果物をよくおすそ分けしてもらうことがある。
そして、特に子どもが産まれてからはそういう機会がより増えた。
ありがたい話なんだけど、それがずっとプレッシャーでもあった。
多くの大人は、
『子どもは果物が好き』
『喜んでくれる』
そういっておすそ分けしてくれる。
でも、うちの娘は全く果物を食べない。
『娘さん、喜んでくれた?』
なぜか嬉しそうな顔で聞かれると
とっさに『はい』って答えてしまう私。
そうするとまた届けてくれる。
とってもありがたい話だが、
食べてないのに食べたように答えてる私に、
どこかで罪悪感があって…
思い切って、
『実はうちの子、果物食べないんです』って言うことにした。
そしたら
『果物はカラダにいいのに、食べさせてあげないと』
とか
『なんでも食べんと大きくなれんよ』
とこんな会話が続く。
私自身もそう思ってた。
けど、こういう会話をしてると、とても不安になる私がいた。
食べたほうがいいのはわかってる。
でも、食べないものをどうやって食べさせたらいいかわからない。
『こうしたほうがいい』『こうしないほうがいい』って一般的に言われてること。
十分すぎるほど、
頭では
わかってる。
大人は、知識が豊富だから
『こうしたほうがいい』
『これはよくない』
と知識で判断をする。
そして、それができないと無意識に自分を責めたり、相手を批判したりしてしまう。
これに悪気がないことは十分わかってる。
でも、このやりとりがいつからか苦しくなってね。
そんな時に、娘をみてて、
私がずっとずっと大人になるにつれて忘れてたことを気づかせてくれた。
『あぁー、美味しい』
『うわぁ、まずっい』
『うぁー、いい香り』
『くっさーい』
『はぁー、あったか〜い』
こんな風に感覚をシンプルに感じる瞬間があまりになくなってたこと
いつの間にか、当たり前のように
『こうしたほうがいい』
『こうしなきゃいけない』
『これはよくない』
にとらわれ過ぎて
感じることを忘れてた。
無意識だったから、何にも思ってなかったけど
子どもたちのように
『感じたままにする食事』
『感じたままにする遊び』
このシンプルな感覚。
意識的にこんな時間を作ることで、
『あぁー、幸せ』って思える時間が増えた。
知識は、確かに私たちの人生を豊かにしてくれるもの。
でも、それと同時に『感じること』の大切さを子どもたちは私に思い出させてくれた。
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