いつから子どもにこんな多くを求めるようになったのだろうか。

いつから私は子どもに多くを求めるようになったんだろう?

4ヶ月の末っ子💕

私はこの子にいい意味で何も求めていない。


ただ、そこにいて微笑んでくれたり


一生懸命ミルクを飲んだり

あくびをしたり

そのどの姿もただ可愛い。

もっとこうしてと望むことは何もない。



いつからだろう。

『食べれたら◎』

『うまく喋れたら◎』

『トイレでおしっこできたら◎』

『お友達と仲良くできたら◎』

数え切れないほどの

〇〇できたら◎(褒める)

逆に、それがうまくできなかったら、

ダメ、怒る、私の機嫌が悪くなる。笑

そして、『もっともっと』

『ちゃんとしなきゃ』

と子どもを責める。

いつからか子どもを条件つきじゃないと認めれなくなってた。

このブログを始めた頃は、娘の超偏食のことで悩んでいた。

でも、年齢とともに

『字がかけたら』

『字が読めたら』

『ちゃんと片付けができたら』

『時計が読めたら』

終わりなき課題が次から次へとでてくる。

『娘が食べれされすれば、私の悩みはなくなるのに』


って本気であの頃は思ってたけど

きっとこれが解決したところで

私はきっとまた次を求めて、できないと悩み責める、このループをしてしまうのだろう。

この終わりのなき『もっともっと』をやめない限り

悩みは尽きないんだろう。と思う。

やめる!ってきめてもすぐ繰り返してしまう。

何度も何度も決め直す。

こんな日々。
↑you tube風に母子手帳ケースの紹介をするお姉ちゃんとそれを聞く弟たち🎀

そして、今日は、年中さんになって2回目の個人懇談。

『3ヶ月、娘さんと過ごしてみて、独特の感覚、感性これは、きっと将来誰かを助けるすごい力があると私は思います』

と担任の先生が言ってくれた。

『誰もがもってないからこそ、それが個性であり、それがきっと人の役にたつんです。』


そんなことあるのかな?!って今はまだ思う。

でも、

『もっともっとできるようにならなきゃとか我慢してしたくないこともしなきゃとかそんな風に克服しなくても

娘が自分らしくただあるだけで

それが誰かの役にたち、人を助ける。

そんな世界が本当にあるのならば見てみたい。



私にどんなに怒られようとも

まわりの友達と違っても


自分らしく、ありのままでいようとする娘は、本当に私にはない強さをもっているのかもしれない。

『ちゃんとした食事にしなきゃ!』をやめた管理栄養士。超偏食の娘が教えてくれてる本当に大切な食事とは〜

ママは管理栄養士。その子どもたちは超偏食だった。 世間で正しいと言われるちゃんとした食事(カロリーや栄養素など)を伝えることが仕事だった私。その知識は全くわが子に通用しなかった。 そんな日々に悩み、そこからたくさんの気づきをもらっている真っ最中。そしてその記録 『食育』で育つのはカラダだけじゃなかった。 カロリーや栄養素よりも大切なことがあった。

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