できないと決めつける前にやれること

年齢とともに、ことばでのコミュニケーションがとれるようになり

『何がいやなの?!』

『なんでダメなの!?』

『嫌ならやめる!?』

聞けるようになった反面、

わが子にはすごく威圧的に質問してて

答えられない または こう答えるしかないという圧力をかけたような雰囲気をだしてしまってるなーと

後で気づく。

2学年差だけど、最近よく『双子?』と聞かれる。すでに足のサイズは弟の方が大きい。



友達の子どもで小学生の子がいる。

その子も感覚が過敏だ。

この前の日曜日におうちでみんなでプールをした。




『ぼく、プール嫌いだけど、おうちのは楽しい』


私『学校のプールは嫌なの?』(友達の子には優しく聞ける笑)


『消毒のにおいが気持ち悪いし』

『みんなと一緒に外で着替えるのが嫌

私『水に顔がつけるのは、怖くないの?』

『怖くないし、水は気持ちいいから好き』


このやりとりをして、気づいたんだけど

プールが嫌な子ってみんな

『水が怖い、顔をつけるのが嫌』な子だと思っていた。


いろんな理由があるんだね。



大人になれば、自由にその場を立ち去るとか


嫌なことをなるべく可能な範囲で避けることができるけど


子どもたちは集団に入った途端

『みんなと同じように決められたことができることが問題ない子』とされている気がする。

その方が楽なのはよくわかる。


私も子育てしてて、思ったことをすんなりしてくれる長男は手がかからなくて楽だなーとは思うけど

そこで、弟はよくて、姉はダメと子どもの価値を決めるのは違うような気がする。


できないとダメ、できないなら、できるようにしなければみんなと同じようには過ごせない。


結構厳しいよね。



そもそも、みんなと同じようにできるのが本当に1番大切なことなのか?

最近は本当にこう思う。答えはまだ見つからないけど。




集団の中で、一人ひとりに個別にきめ細かに対応するって現状難しいのもわかる。




でも、子どもの意見をちゃんと汲み取って、

これを排除すれば


できないと思ってたことができるかもしれない。


あれもできない、これもできないと決めつけてたけど

やるかやらないかの二択では

もったいないなと思った。


今の社会では、

感覚が過敏がゆえ、人よりたくさんの生きにくさを感じてしまっている子ってきっとたくさんいるんだろうな。



今のままでは、『集団、社会は我慢するところ』って思ってしまうんじゃないかな。



感覚が過敏な子は、人よりちょっといろんなことが気になる子。つまり、小さなささいな変化にも敏感によく気がつく子。



『この子たちのよさを活かしながら、自分らしく参加していける場所ってどこにあるんだろう?』


そんな場所があるんだろうか。


この子たちのために、今私ができることってなんなんだろう。








『ちゃんとした食事にしなきゃ!』をやめた管理栄養士。超偏食の娘が教えてくれてる本当に大切な食事とは〜

ママは管理栄養士。その子どもたちは超偏食だった。 世間で正しいと言われるちゃんとした食事(カロリーや栄養素など)を伝えることが仕事だった私。その知識は全くわが子に通用しなかった。 そんな日々に悩み、そこからたくさんの気づきをもらっている真っ最中。そしてその記録 『食育』で育つのはカラダだけじゃなかった。 カロリーや栄養素よりも大切なことがあった。

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