娘が2歳の頃は、『なぜこんな食べないのか?』
全く娘のことが理解できてなかった。
正確に言えば、『世間一般的に言われる正しいこと』
をちゃんとできてるのが母親として大切だと思っていたから
一般的に言われることからかけ離れた娘の食生活には不安しかなかった。
ごはんは、白米だけ。時々うどん。
食べないのに、ジュースは大量に欲しがる。
当時はどうしてもこれを認めることができなかった。
だから、『ジュースが欲しい』っていうたびに
『さっきも飲んだでしょ!?』
『ごはん食べないくせにジュースばっかり』
とにかく怒ってばっかりだった。
反射のように、娘が『ジュース』っていうと私はイライラし、怒りはじめてたのだ。
今思えば、私も不安からの行動だったけど、かなり娘をコントロールしていたなと思う。
そんな日常生活だったから、次第に弊害がでてきた。
娘が私に対して『欲しいものを欲しい』って言えなくなったのだ。
子どもって無邪気に、親を困らせるくらい、ただをこねて『欲しい欲しい』っていえるのが自然なことだと今ならわかる。
私は、娘を怒りすぎて、
まだ2歳の子に『ジュースが欲しい』
このことばを言えなくさせてしまったのだ。
私以外のパパやばーばには、
『ジュースちょうだい』って言えるのに、
私を前にするとモジモジして、
(欲しいんだろうなと、こちらには伝わるけど)娘から『欲しい』ってことばがでてこない。
『欲しいの?』って聞いても、絶対に答えない。
答えないというよりは、怖くて答えれなかったんだと思う。
こんな小さいながらに、
これを言ったらママが怒る、ママに嫌われるって考えてたのかな。
そう思うとすごい胸がしめつけられるような気持ちになった。
それから、
『もう、食べたくない』といったらそれを尊重する
『無理に食べさせようとしない』
『娘の気持ち』を否定しない
こんなことを約1年意識して暮らす中で、
やっとまた娘が私に『欲しい欲しい!!』ってダダをこねてくれるようになった。
(しつこくダダこねられると、イライラしてしまうけど)
でも、『欲しい』ものを『欲しい』ってちゃんと伝えれること、伝えれる関係に戻れたことが嬉しい。
今でも、まだジュースを欲しがりすぎるとママに怒られる、嫌われるって思っちゃうのか時々飲みながら私の気持ちを確認するように
『ママ、大好きだよ』っていう娘。
大好きって伝えてくれることは嬉しいけど、やっぱりちょっと切なさもある。
『ちゃんとしなきゃ』『こうでなきゃ』って私の中にあるたくさんの枠が、どうしても全てを受け止めきれないかもしれないけど、
子どもの中に芽生える『したい』『欲しい』って気持ちをできるだけ尊重してあげたいなと思う。
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